
Jane Avril
踊りが止まる、その直前の瞬間
ジェーヌ・アヴリルの脚は、今まさに空気を切り裂いたばかりのように見えます。
スカートの裾は軽くひるがえり、黒いストッキングが画面を長く横切ります。そしてその瞬間、周囲の空気までもがともに揺れているように感じられます。
まさにこの場面。ロートレックは踊りが「止まる直前の瞬間」を捉えてみせました。
絵をゆっくりと見てください。構成は驚くほど単純です。
ロートレックはもともと、こうした瞬間を描くことに天才的な画家でした。
踊りが終わった後ではなく、踊りが最も生き生きとしている刹那。そのひとつの瞬間の速度を、画面の中に閉じ込めてしまったのです。
ロートレックはいかにして動きを描いたのか
実はこの絵のダイナミズムは、絵の具からも生まれています。
彼は通常の油彩のように厚く塗ることはしませんでした。油絵の具にテンペラを混ぜて使っていたのです。
テンペラとは顔料に卵などの媒剤を混ぜて作る絵の具ですが、油彩と組み合わせることで粘度が格段に軽くなります。
だから画面をよく見ると、色が重厚に積み重なっているというより、薄くかすめるように通り過ぎていく感覚があります。
まるで筆が踊る人を追いかけて、急ぎ足で動いたかのように。
そのためロートレックの絵は「描かれた場面」というよりも、目の前を過ぎ去っていく公演の残像のように感じられます。
パリを虜にした女性、ジェーヌ・アヴリル
そしてこの絵のおかげで、ジェーヌ・アヴリルは当時のパリで最も有名なスターのひとりとなります。
当時の実際の写真を見ると、さらに興味深いものがあります。細く長い体躯、鋭い印象、そしてどこか不安げな眼差し。
彼女は単なるダンサーではなく、ベル・エポック時代のパリを象徴するアイコンでした。
映画『ムーラン・ルージュ』をご覧になったことがあれば、さらに親しみを感じていただけるでしょう。劇中最高のスター・ダンサー「サティーン」のモデルもまた、ジェーヌ・アヴリルなのです。
今夜改めてあの映画を観るなら、少し違った感慨を覚えるかもしれません。


絵よりもドラマティックだった画家の生涯
この絵を描いたロートレック自身の物語も、ともに辿ってみましょう。
ロートレックは伯爵家に生まれた貴族でした。まさに恵まれた出自です。しかし幼少期の事故で両脚を骨折し、成長が止まってしまいます。そのため脚は短く、身長も非常に低かった。驚くほど小柄な体つきで、愛嬌のある小さな印象を与えることもありました。
しかし彼の内面は、決して明るいものではありませんでした。
とりわけ父親は、身体が成長しなかった息子を恥じていたと伝えられています。ロートレックにとって、その傷は生涯消えることがありませんでした。
幸い、母親は違いました。彼女は息子の才能を信じ、芸術教育を惜しみなく支援し続けました。
こうしてロートレックはパリのモンマルトルに居を定めることになります。当時のモンマルトルは、芸術家や俳優、ダンサーや酔客たちが夜通し入り混じる街でした。そしてロートレックは、その世界を誰よりも愛しました。

モンマルトルの夜を記録した人
彼は酒場のポスターを描き、キャバレーのダンサーを描き、夜に生きる人々を記録しました。
絵の中の華やかな照明の陰には、いつも孤独が潜んでいました。もしかするとロートレックは、踊る人々を描きながら、自分自身の傷をも静かに見つめていたのかもしれません。
短く、しかし強烈だった生涯
しかし彼はついに、酒と放蕩な生活の中で身体が蝕まれていきます。
そして三十六歳。あまりにも早い死でした。
短い生涯でした。しかし彼は誰よりも強烈に、パリの夜を後世に刻みました。
だからロートレックの絵を見ていると、単に華やかな公演ではなく、消える直前の青春のようなものが感じられます。
おそらく、それゆえでしょう。
100年が過ぎた今も、彼の絵の中の踊りがまだ終わっていないように見える理由は。




